考えたこと

15周年

2024年3月30日



私たちが岡山に来て15年が経ちました。今年は15周年です。
4月には久々に温めてきた企画で、私たちや野菜達の良き理解者であり、たくさんの刺激を頂いてきた「にほん酒や」(東京・吉祥寺)さんをお迎えします。

今まで、農園では在来野菜や固定種の野菜をメインに栽培してきました。これは、種採りをして繋いでいくことができること、その野菜独特の個性に魅力を感じることなどが理由です。いろんなご縁で私たちの元にやってきた種子、その中でもこの場所に根を張ることができた野菜たちと共に15年の時を過ごしてきました。

これまで、農閑期には山形の在来野菜を巡る旅をしたり、スリランカやフランスのオーガニックファームを訪問したり・・・この15年間の前半は色々な場所に行き、色々な人に会い、自分の目指す農園について考える時間となりました。一方、後半は、動物を飼い始めたため、外に出て行くことが難しくなりましたが、動物も含めた循環型の農業の形を考える時間となりました。また、この4年間は「いちからつくる会」という会を立ち上げ、多くの方と農を通じて会話をする機会を頂きました。
私たちが毎年同じことを繰り返し、それを日常に落とし込んで日々の暮らしとする中で感じることを会の方々にお伝えする中で、育てる野菜の魅力を最も引き出すものを共有したいと思った時、さけて通れないものの一つとして郷土料理へと向かっていることに気づきました。

この一年は、少し郷土料理にフォーカスし、その魅力を再発見していければと思っています。

①料理と共に文化として生きていく在来野菜

日本各地で農家の高齢化が進み、食文化が変化していく中で、多くの在来種が静かに消えていっている現状があります。それを憂いてそれを育ててみたところで、やはりそれは遅かれ早かれ消えていくことになってしまいます。私も色々育ててみた結果、在来野菜は料理と共に文化として生き残っていくものだと意識するようになりました。その野菜でその料理法でしかだせない味わいがあり、それを価値と感じられた時、それが文化として受け継がれてきたもので、受け手がその意義を見失わない限りそれはこれからも継がれ続けていくのではないかと。また、更に言えば、それはその意義の芯さえ見出すことができれば、他の様々な形に置き換えや応用が可能な限りなく自由なものであることを。
例えば、ひも唐辛子という奈良の伝統野菜。いちからつくる会では、これを使って、三升漬けという郷土料理を作ります。本来は辛い唐辛子を使いますが、ひも唐辛子の「辛くないけど香り高い唐辛子の香り」の特徴を活かして三升漬けを作ると、これでしか作ることのできない味わいを出すことができます。私たちが見つけた受け継いでいきたいものの一つです。

②在来野菜の魅力を引き出すために

では、その在来野菜の重みを感じたとして、その在来野菜を慣行農法で大量生産する目的で作ると、それはまたその野菜本来の味わいを失ってしまうことも感じます。そもそも在来野菜は、慣行農法が普及するよりも前から脈々と受け継がれて味わわれてきたものであり、昔ながらの農法でよりその本来の味わいが活きてくるように感じます。そう考えたとき、結局は自分や家族のために考えて育てた野菜で、家族のために料理することが一番美味しいものができるという結論に至ります。きっとそれは昔は当たり前のことだったはずで、今ではそれが当たり前でなくなってしまい、農業が産業になってしまった時から少しずつ変化してきたことなのかもしれません。この当たり前を取り戻そう、というのが「いちからつくる会」の一つの取り組みでした。

自然農で育てた野菜の魅力や素材の力を最大限に引き出せる一つの方法は、精進料理であると感じてきました。今年の2月に、久々に藤井まりさんをお迎えし、精進料理会をして頂きました。素材に味を足していくのではなく、ひいていく、素材の味を活かすそのバランス、そのためには素材がよくなければそれを活かすことが難しい料理。そして、藤井さんが「食は心なり」と言われるように、料理は技術だけでなく、その素材に感謝し、食する人のことを思って料理することで生まれる味もあることも感じます。
そして、またここ数年、それを郷土料理の中にも感じるようになりました。郷土料理というと、少し堅苦しく聞こえるかもしれませんが、もっと簡単にいうと、受け継がれていく料理でしょうか。私は祖母と一緒に暮らす中で、祖母から色々な料理を教えてもらいました。それは、祖母がずっと作り続けている唐辛子を使ったものだったり、秋の山栗を大事に保存しながら作るお赤飯だったり。まだまだ全然追いついていませんが、祖母から受け継いだ私のお赤飯は、自分が育てた餅米と小豆、山栗を使い、少しずつ自分流の選択をしながら、行き着いたものであったりします。これはきっとこれからも変化し続け、ゴールはないものと思います。

祖母が書き溜めたお料理のレシピの束が、この春巡って私の手元にやってきました。祖母から受け継げるこれ以上の財産はないと感じ、この宝物をこれから少しずつ読み解いていきたいと思っています。吉備中央町の郷土料理と言われる「くさぎなのかけ飯」、祖母の作るこれはとても絶品だったのですが、いつも作ってもらっていたのに、教えてもらわなかった・・・これは後悔ですが、記憶には残っているものなので、今年はこのくさぎなのかけ飯を再現したいと思っています。

③それぞれの土地で発展できる郷土料理と在来野菜

北海道の親戚が毎年冬に飯寿司やニシン漬けを送ってくれていました。とても美味しくて毎年の楽しみで、これは北海道のような寒い場所でなければ作ることができない、という固定概念があったのですが、ある年、自分たちで作ってみようと、親戚に作り方をきいて作ってみたら、とても美味しくできたのです。それからは毎年、自分たちで作るようになりました。その時、郷土料理というのは、それぞれの土地のもので、それぞれの味わいで作り出すことができるということも感じるようになりました。それは、北海道のように寒い場所でできる味わいの飯寿司とは違うけれど、またこちらの風土にあった味わいの飯寿司となり、その正解はないのだな、ということです。

「いちからつくる会」で、最初の年、私たちが育てた大根で沢庵をつけて、みんなで食べて美味しいと感動して、2年目は自分たちで育てた大根で沢庵を漬けました。同じように、3年目は自分たちで育てた大根や人参で飯寿司を漬けました。不思議なことにほとんど同じような条件で、私たちが漬けたものとみんなが漬けたもので味わいが違うのです。同じレシピでも作る人によって味が変わる、それがそれぞれの家庭の味になり、家の味が一番ということになるのだろうと思います。

在来野菜を作るという作業は、作るところで終わるのではなく、どうすればその野菜が生き残れるか、使い続けられるか、の鍵となるものを探すことなしには完結しないもののように思われます。それは郷土料理として受け継がれてきたものの芯を掴むことで一層深めることができるのではないかと感じています。

この15周年というタイミングで、にほん酒やさんをお迎えし、「郷土料理が今を生きる」というテーマでイベントをできることは、私たちのこれからへの一歩になるだろうと感じています。高谷さんは、お店で在来野菜などを多く扱って料理されていて、青森ご出身ということもあり、津軽あかつきの会(津軽の伝承料理)ともご縁の深い方で、私たちも多くの気づきを頂いてきました。「ただ伝統を守っていくということではなく、今に合わせて形を変えながら生きていく郷土料理」高谷さんからは、いつもそんなことも感じます。そして、素材としっかり対話しながら料理をされて、その素材が生まれる風景を意識して向き合って下さっていて、生産者ー消費者という枠組みを超えたところで料理をされていることを感じ、畑に立っていないのにそれができることは、私たちにとって、とても嬉しいことです。

今回のイベントでは、高谷さんのお料理とお話から、皆さんが郷土料理の一つの形を考えて頂く機会になれば幸いです。私も素材を活かすということについて、考えていることを共有できればと思っています。
4/20と21、ご予定頂いている皆様、楽しみにしております!
もし、これを読んでご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。

15年間、私たちを支えて下さった皆様、ありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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