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米つくりで感じること

2018年10月21日

朝晩の冷え込みが身に沁みる季節になりました。


昨年から実をつけ始めたみかん。


良い色に色づいてきました。酸味もしっかりありますが、美味しいみかん。

さて、ずっと探していた縄ない機。近所の農家さんが譲って下さいました。
子供の頃、縄をなっていた話を聞かせて下さいました。その頃は機械はなく、牛で田んぼを耕し、田植えはもちろん、稲刈り、脱穀、籾摺りも全て人力だった時代。もちろん車もなく、想像するだけでも倒れそう、、、

「田植えや稲刈り時期は学校も休みで、子供もみんな労働力として手伝いをしていた。脱穀した籾を干すためにムシロが必要で、ムシロも編んでいた。藁は全て利用するため田んぼに返さず、その分、田んぼには牛糞や山の落ち葉などを入れていた。などなど」

いつも感じることですが、昔の米作りには、日本文化が詰まっている気がします。米作りのためには多くの道具を生み出し、全てを無駄なく活用してきました。そして、この60年の間に恐ろしい勢いでこの文化が便利なものに移り変わって行ってしまったんだなあ、と改めて感じます。
そして、農家さんは「今の米作りは本当に簡単だ」と言われました。全て手作業でする過程を知っている世代と機械が全てやってくれる世代、、、この違いは余りに大きいと感じます。そして、知っている世代が消えていくこれからの日本。
そして、米作りが簡単になって失われた大きなものの一つに米の質があると思います。米作りに一年の多くの時間を捧げてきた頃、その頃の米はどんな米だったのだろう。米のありがたみや重みは今とは違うものではなかっただろうか。食味ということだけでなく、その米の持つエネルギーはどのようなものだったのだろう、、、

「今の子供は学校が終わったら塾や習い事に行くのが仕事だが、昔は学校が終わったら、田畑の手伝いをするのが仕事だった。毎日、筋肉痛だった。大変なことは多かったけど、楽しいこともあった。秋に柿がなったら、そりゃもう大変なご馳走だ。稲刈りの合間に、鎌で皮を剥いて食べていた。」
懐かしそうに言われていました。物が溢れる今だから感じることが難しくなった幸せが、そこにあるように感じました。そして、子供の頃から自分で何かを生み出すという経験ができていたことは、やっぱり大きいことのように感じます。

今の私達世代は便利さに埋もれて生きていますし、それを知ってしまっているので全て手放すことは難しいですが、大事なものは見失わないようにしたいです。昔のように全て手作業でやりたいということではなく、これが産業としての農業ではなく、生きていくための営みであるという部分は残していきたいと強く思います。
だから、私たちにできることは、失われそうで大切な部分の拾い出し。そしてきっと、それに気づいてくれるであろう次世代へ繋げていくことなのかもしれません。


先日、ついに足踏み脱穀機が壊れてしまいました。左側が古い脱穀機ですが、木の台の一部が割れてペダルが踏めなくなってしまいました。なので、一度全体を解体し、外側の木の台を新しくしました。


うまく回転もするようになり、もち米の脱穀も無事に使えそうでホッとしました。
機械はなかなか直すのが難しいですが、道具は仕組みさえ理解できれば、自分で直すことができるのが良いところだと思いました。


香り米の収穫。


秋冬野菜の畑。今年は9月の長雨で、アブラナ科野菜に苦戦していますが、ここの畑はほとんど被害なく育ってくれました。


タネをばら撒きした春菊。


4ヶ月経ったチャボ達。

この冬は、「藁で縄をなう」という楽しみも増えました。
やりたいことは山のようにありますが、一つ一つできることを増やしていきたいです。

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