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在来作物について考える

2013年4月9日

 在来作物は、各地域で受け継がれ、食文化を築いてきたもの、それを維持し、伝えられてきたことには、先人のたゆまぬ営みの素晴らしさを感じます。また更に、現在その掘起こしや、地位の再確立が各地でなされています。

 
 そんな中、3月に在来作物の復興が進んでいる山形に行き、復興までの過程や、現在の取り組みについて勉強してきました。今回の旅では、在来野菜の復興に力を入れていらっしゃる山形大学の先生や、在来野菜を栽培されている農家さんのお話を伺うことができました。

 山形では、その取組みにより、在来作物がなんと180品目ほど発掘されているそうです。発掘にあたっては、①世代を渡り受け継がれていること、②自家採種していること、の二つを満たしているものを、山形の在来作物と位置づけたとのことでした。
 採算があわず一度栽培をやめたが再び栽培が始められた種、1農家のみで代々受け継がれてきた種など、消えてしまう可能性があった種は、その山形大学の先生や地元在来野菜を活かしたイタリアレストラン・アルケッチャーノのシェフなどの努力で注目を集めることとなり、新しい形で在来作物を守っていく取り組みが進んでいます。

 山形の中でも、庄内地域には在来作物が多く存在しており、特にカブはその種類が多く、それぞれの地域に在来のものがあり、今でも昔ながらの栽培法にこだわって育てられている農家さんもいらっしゃいます。
 そんな中、焼き畑で在来カブを栽培されている農家さんにお話を伺うことができました。一度は採算があわずに栽培をやめたものの、また栽培を始めることになった経緯や、焼き畑で栽培する理由、アルケッチャーノのシェフとの出会いなど、色々なお話をきかせて頂き、畑を見せて頂きました。今は、漬け物屋さんと契約し、その農家さんを中心に地域の数件の農家さんのみで生産しているとのことでした。
 しかし以前、在来種としてブランド化されているそのカブから勝手に種を取り、許可なく一般の畑で栽培したカブが同じ名前で出荷されてしまったことや、そのカブの名前の種が販売されたこともあり、種の管理には特に細心の注意を払っておられます。また、その地域で、しかも焼き畑という方法で栽培するということに、強いこだわりを持っておられました。
 他の有名になった在来作物についても、その地域で育てられてこそ、その特性が発揮されるということで、その種は決して外には出さず、その地域で育てていくことをとても大切にされていました。そのため、漬け物やお菓子など加工した状態でのみ出荷し、生の状態での出荷(そのまま育てて種取りがなされる可能性がある)はしないよう注意が払われているものが多かったです。
 そのように一度廃れかけた種が再注目され、大事に栽培されている一方、どの農村でも同じですが、栽培している農家の方の多くはご高齢で、後継者などの問題を抱えているところが多いのも現状のようでした。

 山形のような、注目されている現場を見て、私なりに在来作物とその未来について考えてみました。
 私は在来作物には、遺伝的な多様性があることも大事な特徴の一つだと思っています。きっと昔はお嫁に行く時などに種を持って行き、それが新しい場所で受け継がれ、その場所に適応した形で育っていくということが各地であったことでしょう。それは在来作物の一つの進化の形だと思います。
 同じ祖先の種から、別々の地域で、年月の経過とともに、少しずつ違う特徴を持った野菜がそれぞれの地域の食文化とともに発展し、地域に根付いていったことでしょう。
 この流れを考えると、種を囲い込むことは、一方で、その種の進化を止めてしまうことになってしまうことを懸念します。
 種が開放され、どこででも栽培できるようになれば、その野菜の付加価値が失われる?そうでしょうか。同じ種から、地域によって、それぞれ異なる個性的な野菜ができるということは、自ずとその地域の個性が一層引き立つことになるのではないでしょうか。
 「種に旅をさせる」と言われた岩崎さんの言葉が頭に浮かびました。

 またもう一つには、同じ種類の種でも、何代も種取りが繰り返されることで、地域によって異なる個性を発揮するということを考えた時、品種の“名前”の意義について考えました。
 今では、京野菜や加賀野菜などは、種が市販され、他の地域でも簡単に栽培できる時代になりました。
 しかしながら、種苗会社で販売される野菜の種の採種地は海外であることがほとんどです。先のことを考えた時、例えば購入した聖護院大根(採種地:イタリア)の種で栽培した大根を、「聖護院大根」として販売することに意味はあるのだろうか、と。その時の『聖護院大根』は京都の特定の地域の在来作物であるということを表すのではなく、単に種類としての“名前”を表すのに過ぎないのではないだろうか。ブランドとして認知されているその“名前”が大切なのではなく、それを自分の地域に根付かせて、その野菜の魅力をその土地で最大限に引き出すこと、これこそに意味があるのだ、と。このことを疎かにしてしまうと、在来種、固定種の意味を見失ってしまう気がしました。
 岡山の在来作物を受け継いでいきたい、この思いは変わりませんが、その意味について深く考えることができました。
 多くのことを考える機会を得た今回の旅。出会った皆様に深く感謝。

 私の地域で受け継がれてきた種、それをこの地域で受け継いでいく、このことを大切にしていきたいと思っています。そして、時には種を旅に出し、種の望む進化をしてもらいたいと思っています。

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2 Comments

  • Reply pukusa-kina 2013年5月6日 at 21:54

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    初めまして。通りすがりに画面を拝借致します失礼をご容赦くださいませ。
    食と農に関する頁を辿ってここに参りました。
    農と暮らしを考えるにあたり、示唆深いブログのご記事に感銘を受けるとともに、自然への憧憬を新たにしている次第でございます。
    さて、庄内地域に於いて焼畑で在来蕪の栽培ということは、飛騨赤蕪と並び最も美味な「在来」蕪と評される温海蕪ですね。
    葉も食す飛騨赤蕪とは異なり、温海蕪は葉が硬く毛羽立っていることから根の部分のみを食します。
    ノリランカ様に擱かれましても温海蕪又は飛騨赤蕪の何れかをして、吉異なる個性を発揮する吉備赤蕪たらしめることがことができないものかと夢想致しました。
    吉備高原地域の在来作物のみならず、温海蕪、飛騨赤蕪、アイヌネギ等、遠方で栽培される作物に関しても時には種の旅先を当地として、種の望む進化をしてもらいたいと感じました。
    ノリランカ様の末長いご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。お邪魔致しました。 Like

  • Reply nori-lanka 2013年5月7日 at 00:03

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    pukusa-kina様、コメントありがとうございます。
    温海カブ、飛騨赤カブのご紹介ありがとうございます!今年は、飛騨赤カブの種とりをするつもりです。
    日本の在来作物も、元をたどれば海外というものも多いので、西洋野菜を含めた作物の種取りを続けていきたいと思っています。
    また色々ご教示頂ければ幸いです。
    余談ですが、北海道にゆかりのある方でしょうか・・・
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