「文明は農業で動く」を訪ねる (スリランカの旅①)

2015年3月7日

スリランカでいくつかの農園を訪れた中で感じたことを何回かに分けて書いていきたいと思います。
スリランカの伝統農法と私達の自然農には、共通する点を多く感じますが、今回の旅でスリランカの伝統農法は仏教に根ざしたものであることを強く感じました。

スリランカに行く前に読んだ本『文明は農業で動く』。
この本の中には、スリランカの伝統農業についても取り上げられていました。
そこで紹介されていた農園にとても興味を持ちました。そこは、キャンディ近郊のナワラピティヤでエコロジー保全協会を創設し、1980年代前半から有機農業と伝統農業に取り組まれている農園とのことでした。

この農園主であるウッパワンサ氏は、伝統農法に着目して「ナワ・ケクラマ」という方法を開発し、高収量を上げることに成功、そしてその方法を普及していることが書かれていました。その農法の特色は、伝統的な太陰暦に従った栽培・不耕起マルチ栽培(マルチには藁や草を使う)・雑草を残す栽培(雑草を抜かない)ということでした。その方法は、自然農と多く共通する点を持っていると感じ、是非この農園を訪れたいと思いました。名前と地名しかわからない中、現地で友人一家に助けて頂いて、農園探しに出発しました。

道中、色々な方に道を尋ねながら、ようやくそこらしき場所に着いた時、友人のお父さんが言いました。「この農園はもう閉園してしまっている・・・。」

せっかくたどり着いたのに!
せめてどんな環境で、どんな場所だったのかだけでも見たい!
なぜ閉園してしまったのか?
と色々な思いを持って、少しだけ隙間のあった門の脇から中に入ってみました。
ちょうどそこで、その農園のメンテナンスを任されているおじいさんに出会いました。親切にも農園を案内して頂けることになりました。
おじいさんの話では、ウッパワンサ氏が重度の病気にかかってしまったため、5年程前に農園は閉鎖されてしまったとのことでした。


そこは、環境がとても素晴らしい場所で、ウッパワンサ氏がこの場所を選ばれた意図が良く分かるような気がしました。私も是非ここで農業をしたいと思えるような場所でした。

農園には自然のダムが隣接しており、山の上のため、この水は全く汚染されていないきれいな水。環境、水、地形・・・色々な側面からこの場所を選択された素晴らしさを感じ、ここでお茶やスパイス、畑や田んぼをどんな思いや考えでされていたのかと思うと、彼が元気な時に来てみたかった!と思わずにはいられませんでした。

主のいない農園はひっそりしていましたが、お茶の木やスパイスは、まだ強い生きる力を持っているように感じました。

1996年にウッパワンサ氏の活動に参加していた農民は200人だったのに対し、2007年には1000人以上に増えたそうで、ウッパワンサ氏は本の中で以下のように言っています。「伝統農業は、信仰に基づいていました。作付けや収穫時には、神の恵みのための宗教的な儀式が行われていました。ですが、近代農業は、この文化的な習慣を金銭的な価値へと取り替えてしまいました。今の農民たちには、困窮しても、しっかりとつかめるものが何もないのです。<中略>エコロジー農業が、私達の貴重な天然資源を破壊せずに、食料安全保障を達成できる唯一の方法なのです。」
農園のおじいさんは、数年後、病気が回復したらウッパワンサ氏は戻ってきたいと言っていると話し、彼の連絡先を教えてくれました。ウッパワンサ氏が早く元気になられることを心から祈っています。

そして、私が学んだペラデニヤ大学の農学部、私の所属していた研究室の教授が、その活動に大きく関わっていたことを知りました。研究室にいた時は、伝統農業にも興味を持っていなかったので、その教授の話にそんなに関心を持っていませんでした。今思うと悔やまれます。そこで今回、研究室にも行ってみましたが、すでに退官されており、そのプロジェクトを引き継いだ方はいなかったようです。
本の中での教授の言葉〜雑草よりも作物を大切にし、他の生物を根絶するから、作物だけが孤立する。生物多様性も養分も失われ、失われた要素を代替えするために化学肥料と農薬が使われる。化学肥料や農薬は土壌や水を汚染し、健康被害を引き起こす。だが、伝統農業では、打ち負かす必要がある競争相手として自然をみない。しかもスリランカの伝統農法は、霊的概念、仏教の「慈愛」に根ざしていた〜と。

今なら教授とお話したいことや聞きたいことがたくさんあります。今は海外で教鞭をとられていますが、いつかスリランカでじっくりとお話を伺ってみたい、と思います。

次回は、スリランカの有機農業の現場について感じたことを書きたいと思います。

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